伽藍の夏【補遺】

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『伽藍の夏』【補遺】

1982年小学4年生の恋

心に響いたベートーヴェンの「エリーゼのために」

 「伽藍の夏」に登場する小学4年の早苗(仮名)にまつわるいくつかの思い出は、その後に降り積もる長い年月と私自身の感受性の振幅によって、時に忘れられ、時に思い出されたりと、その繰り返しを続けている。
 
 「小学4年」という1年、つまり私にとっての《1982年》は、思い出深い些末が無数に鏤められた、言わば生涯においても“珠玉”と言い表すことのできる奇跡的な1年であったし、精神と肉体の極めて未成熟な葛藤こそが礎となり、忘れ得ぬ些末として逆に沈殿されていったとさえ思われる。
 あの時、担任の先生が数ヶ月の間、水戸へ研究出張のために教室を離れる…その間、臨時の若い女性の研修先生がやってくる…そして別れの期日が訪れ研修先生が去る…担任の先生が水戸から戻ってくる…といった濃厚な日々の変遷。あるいは子供にとっての大事件の連続。私自身はそうした状況の中で、少しばかり“早熟な”、淡い恋愛経験をしていたことになる。
 
 ――その日の音楽の授業の最中、突然担任が早苗を傍に呼び出し、小声で内緒話をし始めた。私は内心、気が気ではなかったし、非常にそれが長い時間のように感じた。
 だが、その会話の成り行きの結果はすぐに目の前に表れた。早苗はグランドピアノの椅子に座り、カヴァーを開け、一瞬の静寂をも踏み台にして、勢いよくある旋律を奏でた。それはベートーヴェンの「エリーゼのために」であった。
 
 生々しく反響するピアノの打弦の音が、反復して私の耳の奥に到達するやいなや、曲としての旋律というよりも、何か音の総体的な、有機的な何かを取り込んだ新鮮な感覚があって、脳内に強い電流が走った。早苗の感性の、持ち前の優しさであり明るさであり、そして知性を思わせる柔らかな響きであり、時にそれは虚しく悲しい、とてつもなく暗い音色にもなった。それを一心不乱に奏でている彼女の愛くるしさは、私の心の深奥を浄化しつつあった。早苗の指先とピアノとが一体となり、その時間は無限とも思われ、彼女の魂は天上へと高められていくかのような、神秘的な映像を私は想像した。
 
 その日以来、私にとってベートーヴェンの「エリーゼのために」は特別な曲となった。むしろそれを聴くことをためらい、曲と彼女とを同化させる幻想を抱き、封印した。
 
 何故今、それを思い出すのか。脳内にしばし駆け巡るあのピアノの旋律が、今も尚消えることがないからである。
 「音」という実体――。
 時間の止まった少女のままの早苗――という存在が、命が続く限り私の心に宿ることを、見えない実体が私に耳打ちしているのだ。

〈了〉